バリアって「物理的バリア(障壁)」だけじゃないよ。
数年前から、私の頭の片隅に「文化・情報面でのバリア」という言葉やそれにまつわる事柄が``もくもくと``いつもあります。
きっかけは、JILセミナーだったか他市HP掲載情報を閲覧した時だったか。
どのタイミングで知ったのかは覚えてませんが、その時``ほっと``した気持ちを抱いたのは覚えています。
バリアと聞くと、多くの人は「物理的バリア(障壁)」を連想される方が多いと思います。
「でも違うんですって。」「どうやら。」「感度を高めればもっと、それは身近に沢山あるんですって。」
「そして、それを解決させ得る手立ても」
視力が落ち眼鏡をかけてる方は、それが無ければ生活の場面で``当然バリアを感じる``みたいな。(眼鏡すごし!!)
障害者運動などに携り、それに対して感度が高い方は勿論ご存じだと思うのですが、バリアとは「物理的バリア(障壁)」
だけではないのです。
冒頭の話に戻りますが
なぜ、「文化・情報面でのバリア」が頭を過るのか?
それは、私が日々の1人暮らしの生活のなか、仕事をしてるなかで「文化・情報面でのバリア」に直面しているからだと思います。
なので、「ちょっとでも、これを知ってほしい。そこに思い馳せる方が増え、私と同じ境遇で苦しんでる方の役に立つのではないか。」
「であれば儲けもの!」そうした想いで書いてみました。
はなしはぶっ飛びますが、「ブログは簡潔に。」担当者から云われている言葉です。
なので一先ず、こんな感じで。
【用語の解説】
「物理的バリア(障壁)」とは?
・・・公共交通機関、道路、建物など利用する際、
身体に不自由がある人や高齢者、車いすを使用している人
などが移動する上で困難を生じさせる物理的な障壁のこと。
「文化・情報面でのバリア(障壁)」とは?
・・・ 情報伝達の手段や内容、社会的な慣習などによって、情報入手やコミュニケーションが困難になるもの。
例:情報入手方法が1つしか選択筋がない、口頭のみの伝え方、点字がない、手話通訳がない、分かりにくい情報提供など
